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【日本キリシタン検定3級解説】江戸幕府がキリシタンを弾圧するために使った道具は?

江戸時代、日本におけるキリスト教は幕府による厳しい弾圧を受けました。

その際に使われた道具の代表例が「踏み絵(ふみえ)」です。

3級問13 正解:踏み絵

踏み絵は信者をあぶり出し、信仰を捨てさせるために用いられました。

本記事では、江戸幕府のキリシタン弾圧の経緯と、踏み絵がどのように使われたのかをわかりやすく解説します。

なぜキリシタンは弾圧されたのか?

日本に初めてキリスト教が伝わったのは、フランシスコ・ザビエルが来日した時でした。

その後、キリスト教は九州を中心に広がり、キリスト教を保護するキリシタン大名が現れます。

しかし、17世紀に入ると状況が変わります。

徳川家康が江戸幕府を開くと、キリスト教を警戒するようになりました。

理由は、主に以下の3つです。

  • ヨーロッパの植民地政策への警戒
  • 幕府による国内統制のため

    これらの理由から、1614年に幕府は全国的なキリスト教禁止令を発布。

    信者を見つけ出すための道具として、踏み絵が使用されたのです。

    ヨーロッパの植民地政策への警戒

    江戸時代、ヨーロッパ諸国はアジアやアメリカ大陸への進出を進めていました。

    特にスペインやポルトガルは、キリスト教の布教とともに海外領土を拡大する「植民地政策」を進行。

    宣教師たちの目的の多くは布教活動でしたが、幕府はヨーロッパ諸国の侵略ではないかと疑います。

    実際にスペインやポルトガルが植民地化する際、まずキリスト教を布教し、その後軍事的な支配を行うことがありました

    そのため、幕府はキリスト教の広まりを危険視し、早い段階で取り締まる必要があると考えたのです。

    幕府による国内統制のため

    江戸幕府が最も重視したのは「幕府の権力を全国に確立し、安定した支配を続けること」でした。

    キリスト教の広がりは幕府の統治にとって、大きな障害になる可能性があったのです。

    その理由の1つが、「キリスト教徒が幕府への忠誠よりも宗教を優先する可能性がある」という懸念。

    幕府は全国の民衆に対し、「天皇と将軍を敬い、仏教を信仰すること」を前提に支配していました。

    しかし、キリスト教は「唯一神への信仰」を重視。

    神の前では、すべての人が平等であるという教えを持っていました。

    将軍を頂点とする幕府の支配体制とは異なる価値観を持っていたため、幕府はキリスト教の影響を警戒したのです。

    踏み絵の実施とその影響

    江戸幕府はキリシタンを摘発するために「踏み絵」を導入しました。

    これは、キリストや聖母マリアが描かれた絵や彫刻を踏ませることで、信仰を試す方法。

    もし踏むことを拒否すれば、その人物はキリシタンとみなされ、厳しい処罰を受けたのです。

    踏み絵とは何か?

    踏み絵とは、キリストや聖母マリアが描かれた絵や彫刻を村人に踏ませる行為

    踏むことを拒否した場合、その人物はキリシタンとみなされ、厳しい処罰を受けました。

    この踏み絵は長崎や天草など、キリシタンが多い地域を中心に行われました。

    毎年「宗門改(しゅうもんあらため)」という宗教調査の一環として実施されたのです。

    実際の踏み絵の様子

    長崎では寺社奉行の役人が村ごとに踏み絵を持って回り、全員に踏むことを求めたと言われています。

    役人の前で順番に踏み絵を踏まなければならず、これによりキリシタンの摘発が進められました。

    しかし、中には「形だけ踏んで、心の中で祈る」という形で信仰を守る者もいたのです。

    このような信者は「隠れキリシタン」と呼ばれ、密かに信仰を続けました。

    弾圧後のキリシタンと日本社会

    江戸幕府のキリシタン弾圧は長く続き、1637年・島原の乱の後はさらに厳しくなりました。

    多くの信者が処刑され、キリシタンは表向きは日本から姿を消します。

    しかし、一部の信者は信仰を捨てることなく、隠れキリシタンとして信仰を守り続けました

    彼らは仏教徒のふりをしながら、家の中で独自の祈りを捧げるなど、密かにキリスト教を伝承。

    1865年、長崎の大浦天主堂で「信徒発見」が起こります。

    250年以上にわたり隠れキリシタンとして信仰を守っていた人々が、宣教師の前に姿を現したのです。

    この発見は世界的にも大きな驚きをもって迎えられました。

    まとめ

    • ザビエルが日本にキリスト教を伝える
    • 江戸幕府が全国的な禁教令を発布
    • 島原の乱が発生し幕府の弾圧がさらに強化
    • 信者をあぶり出すため、聖画を踏ませる踏み絵が普及
    • 表向きは仏教徒を装いながら密かにキリスト教を信仰。
    • 大浦天主堂で「信徒発見」が起こる

    江戸幕府はキリスト教を国家の脅威とみなし、厳しい弾圧を行いました。

    その代表的な手段が「踏み絵」です。

    踏み絵により多くの信者が信仰を捨てるか、密かに信仰を守るかの選択を迫られました。

    しかし、隠れキリシタンは250年以上にわたり信仰を守り続け、最終的に幕末期の「信徒発見」という形で歴史の表舞台に姿を現しました。

    この出来事は、日本の宗教史における重要なエピソードであり、宗教と権力の関係を考える上でも学ぶ価値のある歴史なのです。

    今後も、日本の歴史を深く学び、隠れたエピソードにも目を向けていきましょう!

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