日本におけるキリスト教の布教は、16世紀半に始まりました。
その立役者となったのが、イエズス会の宣教師 フランシスコ・ザビエル 。
彼が最初にキリスト教を伝えた場所はどこだったのでしょうか?
1549年、ザビエルは日本へと渡り、最初に鹿児島へ上陸して布教活動を開始しました。
本記事では、ザビエルがなぜ鹿児島に上陸したのか。
鹿児島での布教の様子、そしてその後の影響について解説していきます。

ちぇすとー!
ザビエルが鹿児島・坊津への到着(1549年)

1549年8月15日、フランシスコ・ザビエルはポルトガル船に乗り、日本の地を初めて踏みました。
彼が最初に上陸したのは、鹿児島県・坊津(ぼうのつ)という港町です。
当時の坊津は東シナ海に面する貿易の要所であり、中国やポルトガルの船が頻繁に訪れる国際的な港でした。
ザビエルはここから薩摩に入り、戦国大名・島津貴久の領地で布教を始めます。
ザビエルはなぜ坊津に上陸したのか?

ザビエルが坊津を上陸地に選んだのには、いくつかの理由があります。
- 貿易拠点として栄えていた
- 地元の協力者がいた
- 比較的安全な地域だった
貿易拠点として栄えていた
坊津は、日本と海外を結ぶ重要な貿易港でした。
ポルトガル船も頻繁に寄港していたため、海外との接点が多い地域だったのです。
地元の協力者がいた
ザビエルは、日本人ヤジロウと出会い、日本への布教を決意しました。
ヤジロウは鹿児島出身とされており、彼の故郷に向かうのは自然な選択でした。
比較的安全な地域だった
当時の薩摩は、他の戦国大名の領地と比べて比較的安定しており、外国人が上陸しやすい環境でした。
島津氏の支配下にある坊津は、外国人との交流があり、布教活動を始めるには適した場所だったのです。
坊津での活動と薩摩での布教

ザビエルは坊津に上陸後、薩摩の大名・島津貴久に謁見します。
当初、島津貴久はキリスト教の布教を許可しませんでしたが、のちに一定の条件のもとで容認されました。
これにより、ザビエルは約1年間鹿児島に滞在し、最初の日本人改宗者を得ることに成功します。
坊津の歴史とその後
坊津はザビエルの時代以降も、キリスト教布教の拠点のひとつとなりました。
しかし、江戸時代に入るとキリスト教弾圧が厳しくなり、布教活動は制限されます。
まとめ
- ザビエルが日本で最初に上陸したのは鹿児島県坊津
- 坊津は貿易の拠点であり、海外との交流が盛んだった
- ザビエルは島津貴久のもとで布教活動を始めた
日本におけるキリスト教の歴史は、この小さな港町から始まりました。
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